2011-05-19
大江健三郎さんとの公開対談で、会場では話せなかったが、控え室でやりとりしていて興味深かったことを書いておく。
会場でも大江さんは引用されていたが、朝日新聞のインタビュー中に書かれていた、「ネット上のなりすましによって自分の居場所を奪われた」という加藤智大の言葉に、非常に関心を示された。そして、次のようなことをおっしゃられた。
ぼくの時代は、アイデンティティの喪失や、失われたアイデンティティの回復・探求というのが、文学の重要なテーマだったけれど、今ではアイデンティティではなくて、居場所なんだねえ。
じつは、私は今回の対談に当たって、少し大江さんの小説を読んでおこうと思って、『個人的な体験』『空の怪物アグイー』『沖縄ノート』を再読、未読だった『水死』を読んだ。そして、『個人的な体験』を読み直して、大江さんの感想と同様のことを思ったのである。
「個人的な体験」が書かれたのは、まだ政治の時代でもあった1960年代中ごろである。ある意味で日常のすべてが政治の言説に回収されてしまう(特に「知識人」としての作家の言動は)中で、その言説に還元しえないものとして、「個人的な体験」という言葉が、挑発的にも自嘲的にも表明される。そこでは、戦後の希望でもあると同時に、醜い現実でもある「個人」が、指向されている。そういうものを引き受ける主体としてのアイデンティティ確立が、目指されている。
けれど、私が現代に感じるのは、「個人的体験」の消滅である。「個人」自体が成立せず、目指されもしない中で、固有の体験は成り立ちようがない。個々人に固有のはずの体験は、交換可能な、誰が体験しても同じものでしかない、という認識が共有されているからだ。
「自己責任」という言葉が、それをよく示している。社会的政治的な構造の産物である経験までが、「自己責任」という言葉で、個人のせいにされる。本当は自分のせいではないことまで、それは「個人的な体験」なのだと言われてしまう。それはつまり、本当にプライベートなことの消滅を意味している。
『個人的な体験』では、主人公は自分の赤ん坊の問題で頭がいっぱいになり、それまで重大問題だった核実験の問題にまったく関心を示せなくなっている。自分が赤ん坊の問題に対して卑劣な態度を取るのは、核だとか冷戦だとかのせいではないのだ。そこで必要とされているのは、赤ん坊の問題を引き受ける主体であり、その主体が成立することが、核問題を自分のこととして考えることにつながる。それは個人の内面の問題だった。すなわち、アイデンティティの探求だった。
けれど現在の個人とは、内面の問題ではない。学校で例えれば、40人のクラスがあるとして、39人が教室内の空間を分割し、余ったひとり分のところが、自分なのである。誰もが、他の39人の領域にはならなかったところが自分、なのである。自分がその領域を占めることに、必然的な理由は何もない。たんにほかの39人が占めなかった、余った場所でしかない。そのようにして、40人分の領域が相対的に分担され、キャラクター付けされる。キャラクターとは、ただたんにそれぞれの領域に割り振られた番号(記号)にすぎない。だから交換可能だ。もし39人で教室空間がすべて分割されれば、残りの1人は居場所を失う。残りの1人になる可能性は、40人すべてに存在している。
つまり、自分である、ということ自体が、「個人的な体験」ではないのだ。他人でないから自分、というだけのこと。
にもかかわらず、社会の様々な責任が、「個人的な体験」として個々人に背負わされている。それが、現代の個人だと思う。そのような個人がアイデンティティをいくら探求しても、取り替え可能であることは変わらない。自分のアイデンティティを強靭にすることでは、交換可能性を乗り越えることはできないのだ。
大江さんがぽつんと漏らされた言葉は、そのような意味を含んでいたのだと、私は思っている。
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